TBSの報道特集 「バグダッド陥落1年…… 最後の肉声 奥大使はなぜ死んだ? 壮絶221日」を見た。
先月30日には東京新聞が事件の不審点(欺瞞情報)を指摘している。報道特集には硬派の報道を期待したのだが肩透かしをくらった。よく言えば遺族感情に最大限配慮して作られた故人の仕事ぶりを称賛する追悼番組、ありていに言うと外務省謹製かと思われるほどの英雄譚もどき。「走り続けた友」、「挫折と情熱」、「友に伝えた志」、「現場を駆けた奥大使の志」、等々の甘口な章立てのVにもキャスターの語りにも批判精神は欠片もなく、田丸美寿々が政府広報係に見えた。
奥、井ノ上両氏の追悼と称揚は、昨年12月に政府&マスコミが盛大に繰り返し行なっている。今、報道番組がやるべきことは故人の称賛ではなく、殺害事件の真相解明ではないのか。
いや、むろん、故人の仕事の軌跡を克明に辿っておくことにも意義はあるだろう。しかし、それにしても、番組冒頭で「突然の悲劇」、「あの事件」と曖昧な言い回しでお茶を濁したきり、両氏の命を奪った「事件」について一切触れないというのは尋常ではない。キャスターの語りにもVのナレーションにも、米軍関係者や外務省の同僚、大学時代の友人の証言にも「悲劇」、「事件」の実際(彼らが銃器で殺害されたということ)に関する言葉が一切無いというのはあまりに不自然だ。
事件について知らない人にこの番組のVを見せて「奥さんの死の原因はなんだと思う?」と尋ねたら100人中40人は交通事故、30人は過労死と答えるだろう。
「テロで殺された? 嘘でしょ。番組内でそんなこと一言も言ってなかったよ。この奥さんって人は頑張りすぎて過労で突然死か自殺しちゃったんだと思うなぁ。イラクの人に親身に接して、仕事ができるから米軍の偉い人たちにも信頼されて、骨惜しみせず走りまわって、立派だよほんと。……惜しい人をなくしたねえ」
タイトルの「奥大使はなぜ死んだ?」という問いに対する特集Vの答えは、学生時代、外交官試験のために(練習のきつい)ラグビー部をやめたことに負い目を感じていた奥氏は身の危険を感じてもけしてイラクの地から逃げ出そうとはしなかった、その敢闘精神ゆえに悲劇に見舞われることになったのだ、ということらしい。
殺害事件を「悲劇」という曖昧な言葉で覆い隠し、その悲劇的な死の理由を奥氏個人の「現場から逃げない」精神に求める。今日の放送内容は、政府や外務省には歓迎されることだろう。しかし、それでいいのかTBS報道特集。
文句ばかり書き並べたが、貴重な新証言もあった。メモしておく。
ペトレイアス少将(昨年4月下旬から今年2月までイラク北部の都市モスルに駐屯していた米陸軍第101空挺師団の師団長、復興事業で奥氏と協力関係にあった)の証言
「あの日私たちは、モスルまで来るのならヘリを用意すると奥さんに伝えました。しかし彼らは車を選んだんです」
既報では、奥氏らはCPAの会議が開催されるティクリートを目指していたということだったが、目的地はティクリートではなくさらにずっと北のモスルだったのか?
なぜ師団長の申し出を断わり、奥氏らはあえて軽防弾車での陸路移動を選んだのか。東京新聞の記事(3/30)に興味深い記述がある。
「なぜ、会議を最も危険なティクリートで」という疑問が事件当初から浮かんでいた。この月、米軍の死者は前月からほぼ倍増の八十二人。「もう、この地域すら平定した、という米軍の宣伝に尽きます」と政府関係者は明かす。「加えて、この会議直後に日本政府の高官がイラク北部を訪れる予定だった。その行路が安全か否か、その下見も兼ねていた」
政府高官の行路の下見を兼ねていたためヘリではダメで、陸路を行く必要があったということか。この「高官」とは、奥氏らを手足として使っていた、殺害事件直後にイラク訪問を中止して「テロに屈した最初の日本人」と揶揄された、民間企業との癒着疑惑もある(*)、先日妙なタイミングで首相補佐官を辞任 (*)した、あの、岡本行夫首相外交顧問(非公式役職)のことらしい。
特集Vには、この岡本行夫への生温いインタビューもあった。「奥大使はなぜ死んだ?」と問われたら、この人はなんと答えるのだろう。
(この項06日アップロード)