日航123便のボイスレコーダー報道


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2006-07-10123便遺書を展示、追加。
2008-01-112007年8月の記事備忘は退避日誌@はてなに。

2000年


 2000-08-11  日航123便のボイスレコーダー報道

 今夜のニュースステーションは日航機墜落事故の特集で、謎の爆発音から墜落に至るコクピット内の音声記録を放送した。運輸省は昨年11月に関係資料を廃棄処分にしており非公開扱いのボイスレコーダーも廃棄されたが、ある人物がそのコピーを取っており、Nステは「たまたま入手」(久米宏)したんだとか。保存期間切れを口実に貴重な資料であり証言でもあるボイスレコーダーを闇に葬るかの如く廃棄してしまうとは、運輸省ってとんでもない組織だなあ。日本の役所の典型的な振る舞い、とも言えるが。

 コクピットの音声記録と「運輸省が関係資料を廃棄」というニュースは、すでに8日にTBSが報道している(ニュースの森とNews23)(*)。Nステの特集は、二番煎じの域を出ないものであった。
 会話内容が聞き取りにくいためどちらの局も音声とともに流すイメージ映像に会話のテロップを入れていたが、TBSでは適宜、時刻や状況説明も挿入。また11日のニュースの森では続報として機内電話の部分(コクピットと客室乗務員の会話)も放送した。Nステは「資料」としての価値(事故調査委員会の報告との齟齬など)にのみスポットを当てていたが、TBSは乗員・乗客の遺族への取材を交え、この音声記録が遺族にとって貴重な「証言」であり、大きな慰めともなるものであることを伝えていた。残された者の心情を汲み取りつつ感傷に流れない(妙な煽りをしない)、優れた報道であった。

(*) 私自身は8日の放送はNews23の後半しか見ていない。ニュースの森でも報じたというのは、TBSのニュース番組ウオッチをしているシロクマ出張版 の情報の受け売り。

 誰がボイスレコーダーをコピーしておいたんだろう。コピーは少なくとも半年以上前に取られていたはずだが、TV局が廃棄処分の事実を知り、コピーを入手したのはいつなんだろう。事故からちょうど15年となる今週放送されることとなったのは、TV局の判断なのか、コピーを取った人物(あるいはマスコミに流した人物)の意図によるものなのか。2つの放送局で同日の扱いでなかったこと、久米宏の妙に思わせぶりな「たまたま入手」という言い方も、気になる。

 TBS、テレ朝以外の放送局での扱いは不明。上でリンクしたシロクマ出張版のような、CXや日テレ、テレ朝、NHKのニュース番組ウオッチ・サイトがあると便利なんだけどなあ(あるのかもしれないが私は未発見)。本来、放送内容の記録と公開は、放送局の公式サイト自身がやるべきことなんだろうけど。



 2000-08-14  ボイスレコーダー報道2 (2002-11-01追記)

 11日の項で「TBS、テレ朝以外の放送局での扱いは不明」と書いた件について。
 11日深夜あるいは12日早朝、日テレでもコクピットの音声記録を流したらしい。また、日航機事故関連サイトのゲストブック(*1) には12日早朝の時点で「フジ以外の民放局は一通り取り上げました」との投稿がある。CXでは一切報道していないらしい。

 その出遅れていたCXは12日夕方6時の「スーパーニュース」で放送した。これがCXにおける第一報なのかどうかは不明。運輸省がボイスレコーダーをすでに廃棄処分にしている件には一切ふれず、「ボイスレコーダー」という言葉も使わず、「墜落直前のコクピット内の肉声を収めたテープから事故に至る経緯が克明になりました」という宮川キャスターの曖昧模糊とした前口上のみで音声(の細切れ)を流すという情けない内容であった。


 各マスコミがどの時点で問題のテープ(コピー)を入手したのかはわからないが、テープの存在を最初に公表したのは「しんぶん赤旗」らしい(2000年8月5日 (土)「しんぶん赤旗」(*))。


 運輸省が昨年11月にボイスレコーダーを含め関連資料を廃棄処分にしてしまったという件の報道は、7日の毎日新聞が第一報か。(日航機墜落事故:運輸省が資料廃棄


追記 (2002-08-14)
 リンク切れになっている記事を再検索してみた。「赤旗」の記事(2000.8/5)は無かったが毎日の記事2本が見つかった。

・ 特報・日航機墜落事故:報告書作成の資料を事故調が廃棄 (2000.08.04、毎日
・ 日航機墜落事故:運輸省事故調が「保存期間切れた」と資料廃棄 (2000.08.07、同上)

 8/7の記事には「廃棄していたことが6日、分かった」とあるのでこれが第一報だと思っていたのだが、8/4に既報?

(2002-08-31)
 毎日の記事データベースは検索結果のURLが動的で日が経つとnot foundになってしまう。上記2本の記事へは「日航機墜落事故 事故調 廃棄」で記事検索すればアクセスできる(このリンクが無効の場合、毎日のトップページの検索フォームから検索されたし)。

 毎日の過去記事検索は「過去2年間」なので、近くこの記事は閲覧不能になるかも。

(2002-11-01)
 毎日新聞のサイトから2つの記事が消えているのを確認。保存期間切れだろう。


 13日TBS「報道特集」がボイスレコーダー検証報道。フゴイド運動(ダッチロールとは別の機体の上下運動)の解説や「87年にJNNが入手した」という東京管制部との交信記録(2年ほど前ネットにも流出している)を交えた詳細な解説ではあったが、事故調が公表した記録と実際の音声の不一致(改竄疑惑)にはふれずじまい。
 8月5日の「しんぶん赤旗」の記事では改竄の指摘もされているが、私が見た範囲ではTVでは一切この点にふれていない。11日のNステの特集は事故調の解読(聞き取り)の一部に疑問提示はしたが、改竄(異なる時間帯の会話内容の入れ換え)は指摘していない。

 関連サイトの掲示板(*2) への投稿によると、TBSは12日(ブロードキャスター)や今朝もボイスレコーダーに関する放送をしていたらしい。独走状態だなあ。


 CXスーパーニュースは音声とともに流すイメージ映像の最後のシーンを、墜落・激突を想起させる山腹のズームアップにしていた。こういう無神経なのは論外だが、画面の演出法に関してNews23のスタッフ間ではいろいろ議論があったらしい。

 ・参照→ News23 STAFF's NOTES日航機事故のテープ [2000 8/10])


 『墜落の夏 日航123便事故全記録』(吉岡忍、新潮社)、再読中。

 11日の項は文章を一部直した。(この項も「〜らしい」が多過ぎる。事実確認できたものから適宜こっそり修正する予定。)


追記 (08-18)
 日本航空123便事故 御巣鷹山悲劇の真相 によると、TBSは123便と管制部の交信記録を87年8月16日に放送している。


 2000-08-15  ボイスレコーダー報道3

 14日のTBS・News23によると、運輸省は日航機墜落事故の調査資料を廃棄処分にしていたことを、正式に認めた。事故調の中島事務局長によると「原資料はマイクロフィルム化して現在も保存してあり問題はない」、ただし、今後も(来年4月の情報公開法施行後も)調査資料は公開の対象とはしない、んだそうな。
 筑紫哲也は、調査資料を非公開とすることや、文書中心に保存するという発想(ボイスレコーダーなどの音声を保存対象としないこと)には問題がある、とコメントした。

 News23の報道(&筑紫哲也のコメント)からは、ボイスレコーダーはコピーも残さず廃棄されてしまったと理解できる。ところがブルームバーグは、 「事故調では、マイクロフィルム化された文書には、音声関係も『波形化したほか、専門家による解析結果を残した』(中島氏)とし、ほぼ全部の資料が含まれているとしている」 と報じている。音声関係も波形化、というのは、再解読可能な形で保存してあるということか?
(引用出典:→ Bloomberg.com:産業・企業

 ニュースソースは同じ事故調・中島事務局長の会見なのに、この食い違いはなに?
 なお、ニュースステーションではこの件の報道はなかった。


 昨日の項でリンクをはった News23 STAFF's NOTES日航機事故のテープ)には、「テープはこの緊迫したやり取りをおよそ50分にわたって記録し、最後は衝突音で終わっている」との記述がある。『墜落の夏』には、ボイスレコーダーは約30分のエンドレス・テープだが偶然テープに余裕があったため、異常音から墜落までの32分間が記録されていた、とある(p.15)。「50分」というのは、フライトレコーダーとの混同か(フライトレコーダーは25時間のエンドレステープ)。



 2000-08-15  ボイスレコーダー報道4 (2002-08-12追記)

 ボイスレコーダー報道に言及したページを検索していて豚に真珠というコラムを見つけた。TBSの各番組(ニュースの森、News23、エクスプレス、ベストタイム)とテレ朝・ニュースステーションでの扱い方について詳しい記述がある。TBSとNステへの評価は私とは正反対。音声テープのマスコミへの流出は告発であるとし、TBSの報道は事故調の報告書に一切疑問を投げかけておらず、遺族への取材も「美談チック」なものだとして厳しく批判している。

 今回の流出は告発なんだろうか? それにしてはマスコミに流すのがあまりに遅過ぎたように思える。コピーは何年も前、たぶん事故調が最終報告書を公表した時点(87年6月)ですでにあっただろうに。どうも釈然としない。

豚に真珠(TBS・テレビ朝日『日航ジャンボ機 御巣鷹山墜落事故』報道)こんなメディアでした


*  *  *

 14日、CX「とくダネ!」が音声テープを流した。12日のスーパーニュース同様、流された音声は細切れの断片でレポーターの解説もコメンテーターのコメントもダメダメであった。そのダメっぷりは以下の如し。

  • レポーターが、今回出まわっている音声テープは「本来我々の耳に入るべきものではない」と、マスコミへの流出を非難するかのような前口上。

  • 音声を流す前の説明で「方向舵が失われていたため機長は主翼のフラップで機体の平衡を保とうとした」と事実に反する解説(実際の操作とも、フラップの機能とも合致しない)。

  • 墜落直前の「フラップ」「マックパワー」という言葉について、「フラップを上げろという言葉からマックスパワーと変わっている。フラップがダメ、油圧がダメで、それでエンジン出力(の調整)で機体を安定させる方法に変えたことがみてとれる」とオオボケ解説。この時のフラップ操作は(すでに油圧が失われていたため)電動モーターによるもの。前後関係もおかしい。ワイドショーとはいえ、よくもこんなデタラメな解説を。

  • 機長の「スコーク77」宣言部分をカットして、それを復唱した副操縦士の発言部分を残すなど不可解な編集(音声&テロップ)。

  • コメンテーターの浅井教授は「乗員の声は慌てているが管制官の声は冷静だ」とトンデモ発言。ボイスレコーダーには管制官の声は入っていない。番組出演前に、以前流出した東京管制部との交信記録でも聞いていたのか浅井教授?

 ……等々。

 コメンテーターの一人、デーブ・スペクターは「資料を廃棄するのはおかしい話だ、肉声はもっと早い時期に公開すべきだった」とまっとうな意見を述べた後、「これでも、偶然と言っていいんでしょうか、これが公開されたということは釈然としないと思うんですよね」と、音声テープの流出の時期に疑問表明。発言のこの後半部分は歯切れが悪く、見ていてちょっと違和感あり。テープの入手経路について事前にスタッフ・出演者の間で何か申し合わせがあったのかも。これはあくまで推測でしかないが。

 司会の小倉智昭は運輸省が資料を廃棄したことに疑問をぶつけたり、事故調の結論(金属疲労による圧力隔壁の破損で垂直尾翼が破壊された)に対して「原因は本当にそれだけだったのかという疑問が残る」と発言する見識を示したが、レポーターはまともに応答できずじまい。ワイドショーの司会業ってのも辛いねえ。


追記 (2002-08-12)
 こんなメディアでしたが移転しているのに気づいた。リンク修正。

 CX「とくダネ!」に関する部分の文章を整理。D・スペクターの発言について追加。




2002年


 2002-08-12  記事備忘

 ・ 日航ジャンボ機墜落事故、月内にも社内調査終結 (8/9、朝日)
 ・ <日航ジャンボ機墜落事故>冥福を祈る灯ろう流しが行われる (8/11、毎日)



 2002-08-13  リンク追加+私見

 123便事故特集日本航空 機長組合)を関連リンクに追加。

 事故調報告の疑問点を指摘し再調査を求める内容(2000年8月〜2001年8月)。2000年11月19日放送のCX「ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故・15年目の検証」の紙上再現録もある。

 本筋からは逸れることだが私見を書きとめておく。
 この特集に収録されているボイスレコーダー解析に重大な疑義あり!には違和感をおぼえた。事故調が「生のデータ」を航空関係者にも公開せず密室で処理していたことへの批判はまっとうなものだが、この文書の冒頭で機長組合は、マスコミがTV等で「興味本位で音声記録の生のデータを報道することは、その目的外使用であり人権上も許されず、また今後の事故再発防止の阻害となる重大な問題」と主張しているのである。

 この主張は「生のデータ」が裁判等で乗務員の責任を追及する材料として利用されるようになることを警戒してのものだろうが、情報流出が人権侵害に繋がるとすれば、問題とすべきは法整備の遅れや航空会社の情報管理責任であり、報道を非難するのはお門違い。

 2000年8月のTV報道は(一部のワイドショーを除き)けして「興味本位」ではなかった。問題のある事例を具体的に挙げて批判するならともかく、真相究明(再調査)のための有力な助っ人となりうるTV報道を十把ひとからげに「興味本位」と決め付けて牽制しているようでは、マスコミ・国民の支持は得られず、再調査の実現は遠のくばかりだろう。




2003年


 2003-08-12  18年目。報道&記事備忘

 ・ 隔壁修理ミス、日航が撮影 ジャンボ機事故の7年前 (8/10、朝日)

 85年8月、群馬県上野村の御巣鷹(おすたか)の尾根に日本航空のジャンボ機が墜落した事故で、運輸省航空事故調査委員会(当時)によって事故原因とされた78年の米国ボーイング社による同機の圧力隔壁の修理について、日航が200枚以上の写真撮影をし、その中にミスが分かるような写真があったことが分かった。当時、日航は「ボ社の技術は絶対」などとして検証をしておらず、結果的に7年後、事故は起きた。墜落から18年後の夏、新たな事実がまた一つ、明らかになった。

(中略)

 事故を巡っては、群馬県警が日航、ボ社の担当者や運輸省の航空機検査官ら計20人を業務上過失致死傷の疑いで書類送検し、前橋地検は写真も参考にした上で、刑事責任の有無を検討。結局、当時ボ社の修理は世界的に最高水準で、技術的に劣る日航や運輸省はボ社の修理ミスを疑って作業工程について指示したり、修理後に精密に検査したりする権利や義務はなかったとして、過失責任は問えないと判断した。ボ社についても聴取ができなかったことなどから過失を特定できなかった。

出典: 隔壁修理ミス、日航が撮影 ジャンボ機事故の7年前 (8/10、朝日)

 朝日が「隔壁修理ミス」について報じた翌日、TBS「ニュースの森」は、事故生存者が「急減圧は無かった」と証言していたことを示す事故調の内部メモの存在を報道。修理ミスがあったのは事実として、果たしてそれがあの事故の真の原因だったのか? 遺族は日航に対し、事故調査のやり直しを求める要望書を手渡す予定とのこと。

(略)

 「墜落時の衝撃はどうでしたか」(事故調の質問)
 「相当、かなりのものでした。それは覚えています」(生存者の証言)
 死者520人、生存者4人。単独の航空事故としては史上最悪となった日航ジャンボ機墜落事故。JNNは事故の生存者の証言を記録した運輸省・航空事故調査委員会の非公開の内部メモのコピーを入手しました。このメモは事故の真相を追求する著書をまとめたある日航関係者のもとに送られてきました。
 
 「(メモは)事故の翌年の夏くらいに私の自宅に全く差出人不明で送られてきた物なのです」(元日航パイロットの藤田 日出男氏)
 「謎の文書」はその後、事故調査に関わった人物からの「内部告発」だったことがわかりました。生存者からの聞き取りは事故調査委員会のメンバーだった防衛庁の医師らによって行われていました。

(中略)

 事故原因について事故調査委員会は「整備ミスにより機体後部の『圧力隔壁』に亀裂が入り、機内の空気が急速に膨らみ、垂直尾翼を吹き飛ばした」と結論付けました。高度7300メートルで垂直尾翼が吹き飛んだ機内ではいわゆる「急減圧」と呼ばれる現象が起きたはず・・・。『報告書』は再現実験などから機内の状況をこう推測したのです。

(中略)

 事故を導いたとされる「急減圧」は本当にあったのでしょうか。今回、明らかになった生存者のメモには「急減圧」を否定する証言が記録されていたのです。
 「急減圧が起きた時、客室内のモヤがどちらの方向に流れていったか分かりますか?」(事故調の質問)
 「流れているという状況ではなくて、留まっている状況です」(客室乗務員の証言)
 「空気が急に流れていくという風に感じましたか?」(事故調の質問)
 「流れていない・・」(客室乗務員の証言)
 
 証言した客室乗務員は救出直後の調査では「急減圧」を認めたものの、その後、数回に渡る調査で「急減圧」を否定。「事故報告書」の結論とは相反する証言を繰り返していたのです。
 
 「報告書と矛盾する事実なので調査をやり直してもらいたいと思います。事故の『真犯人』を捕まえて取り除かないと、またこういう事故が起きる可能性は残っています」(元日航パイロットの藤田 日出男氏)

(以下略)

 出典: 日航機墜落事故、急減圧否定する証言 (8/11、TBS News i


 ・ 「もし3日の命あれば…」遺族文集、御巣鷹慰霊碑に届く (8/12、朝日)
 ・ 肉親の墓標に手合わせる 日航機墜落から18年 (8/12、共同通信)
 ・ 日航ジャンボ機墜落から18年、遺族ら今年も慰霊登山 (8/12、読売)




2004年


 2004-08-10  19年目の夏。記事備忘



2005年


 2005-05-05  御巣鷹で追悼ミサ 記事備忘

 85年の日航ジャンボ機の墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」で4日、地元カトリック教会による追悼ミサがあり、JR宝塚線の事故犠牲者に祈りがささげられた。

 各地から参列した80人が、1時間をかけて尾根に登った。さいたま教区の谷大二司教(52)が「御巣鷹の520人もJRの107人も、効率優先の現代社会の同じ犠牲者。運転士のミスを許さないような異常な管理社会を正さねばなりません」と説教した。聖歌と献花で犠牲者を追悼した。

 追悼ミサは、日航機の墜落事故から20年となる機会に、県外からも信者が集まり、初めて開催された。

 朝日新聞のニュース特集:尼崎・列車脱線事故に「御巣鷹で追悼ミサ」なる記事が掲載されている。なぜ尼崎の脱線事故の追悼を御巣鷹山で? 一読しただけでは事実関係のよくわからない不思議な記事なので、念のため記事全文を引用しておく。

 どうやら以前から計画されていた日航機事故の追悼ミサが御巣鷹山で行なわれ、合わせて列車事故の犠牲者にも祈りを捧げたということらしい。8月でなくGW期間中の5月4日というのは参加者の便宜を考えての日程だろうか。

 谷司教の「効率優先の現代社会の同じ犠牲者」という大雑把な、責任の所在を曖昧にする括り方には強い違和感があるが、括り方はさておき、10日前に列車事故が起き“交通機関の大事故で多数の死傷者”という繋がりがなければ、この日航機事故の追悼ミサは全国紙の記事にはならなかったのかもしれない。

* * *

 御巣鷹山関連の記事をもう1件リンク&引用しておく。

 520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故から20年となる8月を前に、御巣鷹の尾根がある群馬県上野村の黒沢丈夫村長(91)が6月、10期目の任期を終え引退する。
(中略)
 捜索活動終了後も遺族と日航の間に入って奔走。日航から寄付を取り付け財団法人「慰霊の園」を設立し、理事長として毎年、慰霊式典で追悼の式辞を読んできた。正式な名前がなかった事故現場を「御巣鷹の尾根」と名付けたのも村長だ。


 2005-07-14  日航123便事故、TVドラマ化
 520人が犠牲となった日航ジャンボ機墜落事故をドラマとドキュメントで取り上げるTBSの特別番組「ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実」が、事故発生20年の8月12日午後6時25分から放送される。墜落した午後6時56分をまたいでの特別編成。事故機の高浜雅己機長=当時(49)=の遺族の20年を再現ドラマにし、同局が取材したドキュメントと合わせて構成する。

(中略)

 ドキュメント部分では事故そのものから、事故調査の経緯など新たな取材を加えて追跡。タイトルとなる「ボイスレコーダー」は、事故から15年後の00年8月に公にされたもの。コックピット内で必死の操縦を試みる機長らの緊迫したやりとりが克明に録音されていた。航空機事故でボイスレコーダーの音声が公になるのは異例なことで、番組では、音声をもう一度公表するとともに「ボイスレコーダーの公開がもたらしたもの」などを示していく。

 タイトルがちょっと紛らわしいが、ドラマ化といっても「遺族の20年を再現ドラマに」というもの。20年目の節目ということで出てきた企画なんだろう。

 いろいろな意味で観れそうもないのだが(TVは壊れたままだし、精神的にかなりキツそうだし)、備忘を兼ねて記事を引用しておく。



 2005-08-07  日航123便事故、TVドラマ化(2)

 8月12日(金)にはTBSだけでなくCXも日航123便事故のドラマを放送するのだな。TBSは18:25〜20:54、CXは21:00〜22:52。備忘用に各放送局の紹介ページにリンクしておく。

 CXは「金曜エンタテイメント」枠か。TBSと同様にドラマとドキュメンタリーを組み合わせた構成のようだがどうなることやら。番組紹介ページでは「いまだに伝えきれてはいない32分間の真実に迫る」なんて胸を張っているが、5年前にボイスレコーダーがマスコミに“流出”した際、CXは報道とは言いがたい低レベルなことをやっていたから信用できない。

 ドキュメンタリー部分では、多数の事故関係者にインタビューしています。また、事故機の情報、トラブルのデータなどをすべて入れた実験機で模擬飛行を行い、操縦不能というのが、どのような状態だったのか、最後まで着陸を目指した乗員はどのように闘ったのか、32分間の真実に迫りたい。そこは今まさに取材中であり、まだどういうものが出てくるかわからないのですが。何があったのか知りたいということは遺族の方々の共通の願いでもあると思います。

CX: 番組広報 第2弾



 2005-08-12  日航123便事故のTVドラマ(TBS、CX)

 TBSとCXの日航123便事故特番(ドラマ+ドキュメンタリー)の音声だけ聞いた。意外なことに番組としてはCXのほうが完成度が高かった。

 TBSはドラマ部分が演出、脚本ともに雑で安っぽく、聞いているのが苦痛だった。事故原因の独自調査を続ける日航パイロットの藤田日出男氏を理想化しすぎていて、藤田氏を演じる竹中直人が練れていない演説ゼリフを何度も言わされ気の毒なほど。また番組開始から30分ほど(18時台)はとんでもないタイミングで何度も何度も長時間のCMが挿入されてドラマもドキュメンタリーもブツ切れとなる悲惨な放送であった。

 ボイスレコーダーが登場するのは20時10分過ぎあたりから。事故調の秘密主義と運輸省の資料廃棄の動き、ボイスレコーダー“流出”に至る前段階の描写に時間をかけ、官僚組織の中にも資料を闇に葬ることに抵抗してマスコミや関係者にボイスレコーダーのコピーを送付した“志のある者”はいるのだ、と妙なところに山場を置く不思議な展開に。この後半部分はまるで5年前の流出劇の舞台裏ドラマのようであった。

 そして、肝心のボイスレコーダーの中身の検証は何も無し! “流出”から5年が経過しているが、結局、事故原因の究明という点では何も得られてないということか、と情けなくなった。

 なんでドラマにしたのか。訴求力という点ではボイスレコーダーの32分の音声、乗客の残した遺書にまさるものはないのに。

*  *  *

 ドラマとドキュメンタリーが細かく交互に入れ替わるという構成はTBSもCXも同じだったが、CXのほうが(音声で判断する限り)自然な形で作れていたように思う。TBSはボイスレコーダー入手&放送の実績が誇りであり、CXは生存者救出のスクープ映像が今でも自慢なのだな。当時のカメラマンも登場して証言。

 CXがボイスレコーダーの音声を素材扱いにしてBGMのようにナレーションの背後で流していたのは不快だった。CXは2000年8月にも2002年8月にもこれと同様の無神経な音声・映像演出をしている。いい加減あらためてもらいたいものだ。

 CXの番組は途中何度か席を立ったので聞き逃した可能性もあるのだが、運輸省がボイスレコーダーを含む資料を密かに廃棄していた件にはふれていなかったような?

 TBSと違ってドキュメンタリー部分でボイスレコーダーの分析をしていたのは評価できる(どこか外国の研究機関)。ただし、乗員の様子や音声の周波数変動(の少なさ)から推して事故調のいうような急減圧は機内で起こっていなかったと思われる、という意外性ゼロのレポートであった。その分析結果を運輸省に突き付け事故原因の再調査を促すところまでやってくれれば大手柄なんだが。

 最後の10分ほどは落雷・停電のためまともに聞けなかった。残念。

*  *  *

 NHKはCXと同時間帯にNHKスペシャル「あの日を忘れないで・日航機墜落事故遺族の20年」をやっていたんだなあ。こっちのほうを聞いたほうがよかったかも。NHKはボイスレコーダーの件にはふれないような気がするが。



 2005-08-14  メモ:Nスペ再放送予定

 12日のNスペはCXとダブって聞けなかったのだが、早くも明日には再放送されるのだな。メモしておく。

● 8月12日(金)放送の
「あの日を忘れないで 〜日航機墜落事故 遺族の20年〜」
8月16日(火)午前0:45〜1:37(15日(月)深夜の放送です)

NHKスペシャル再放送予定



 2005-08-16  「急減圧なかった」生存者証言

 事故当時の機内の様子について、生存者が「急減圧はなかった」と証言していることは周知のことである。非番で123便に乗り合わせていたスチュワーデスの落合さんの証言は1986年(事故の翌年)に刊行された『墜落の夏』(吉岡忍、新潮社)に収録されている(*1)。また、事故調の生存者に対する聴き取り調査で急減圧を否定する証言が得られていたことも、2年前に内部資料の暴露という形で報道されている(*2)

 朝日の記事は既報をまとめただけのものだが、いまだに事故調報告書の不備と矛盾が放置されたまま再調査の動きがない現状では、これも有意義な記事というべきか。以下に要点を引用しておく。

 12日で20年を迎えた日航123便墜落事故。当時の運輸省航空事故調査委員会(事故調)は、後部圧力隔壁の修理ミスが主な原因と結論づけたが、遺族や航空関係者の間には疑問の声が消えない。遺族でつくる「8・12連絡会」は11日、事故原因が不明確だとして、残存機体の保存を求める文書を日航に渡した。

 最大の疑問は、垂直尾翼を吹き飛ばすほどの風を生んだ「急減圧」が起きたのか、という点だ。

 事故調は事故直後、乗客として搭乗していた日航のアシスタントパーサー、落合由美さん(当時26)ら4人の生存者に聞き取り調査をした。

 いずれも非公開だったが、4人の証言記録を元日航パイロットで日本乗員組合連絡会議の事故対策委員を務める藤田日出男さん(71)が関係者から入手した。

 ――急減圧のときに、空気がどちらかの方向に急に噴出、あるいは流れていくという風に感じましたか

 「流れていない」

 圧力隔壁に近い客室最後部に座っていた落合さんは、8月27日の聴取にそう明言している。

 (中略)

 さらに報告書では、客室内の気温が零下40度まで下がったとされるものの、落合さんをはじめ、川上慶子さん(当時12)、吉崎博子さん(同34)、美紀子さん(同8)の証言記録で、だれも寒さについて触れていない。

 藤田さんは、客室乗務員として専門的な知識と経験をもつ落合さんが「急減圧はなかった」と繰り返している点などに着目し、「事故調は落合証言との矛盾について説明していない。再調査すべきだ」と話す。

 一方、当時の事故調委員長だった武田峻さん(83)は言う。

 「結論には自信をもっている。ただ、客室の空気の流れなど、圧力隔壁破損という主原因と関係ないと判断したことについては細かく精査しなかった。それに、証言は証拠より信用度が低い」

 原因を探る手がかりとなりうる垂直尾翼の7割は、引き揚げられないまま相模湾に沈んでいる。

「急減圧なかった」 日航機墜落、事故直後に生存者証言

(*1) 落合さんの証言は日航機墜落事故 新聞見出しに見る15年間の記録に転載されている。→ 生存者の一人・落合由美さんの証言

(*2) 2003年8月にTBS「ニュースの森」が事故調・内部メモの存在(急減圧を否定する生存者証言)を暴露している。→ 18年目 日航機墜落事故、急減圧否定する証言

*  *  *

 新証言といっても、20年前事故現場に入ったボーイング社調査チームのジョン・パービス氏が、ボーイング社による「修理ミス」の背景を語ったというもの。氏の立場を考慮すれば勇気ある発言かもしれないが、証言内容自体に目をひくところはない。

 2年前は朝日が修理ミスを取り上げ、TBSは急減圧発生に疑問を投げかける報道をした。今年は朝日が急減圧疑問視、TBSが修理ミス関連報道。偶然だろうが奇妙な感じである。

*  *  *

 その他記事備忘。

 日航の新町敏行社長は12日、墜落したジャンボ機の残存機体について「(破棄するという)会社の方針に変更はないが、わたし自身としてはもう一度、総合して考え、整理してみたい」と述べ、検討することを明らかにした。群馬県上野村での慰霊登山後、取材に答えた。
 日航は残存機体のうち、後部圧力隔壁など一部を除いて破棄する方針を示しており、遺族らでつくる「8・12連絡会」が保存を求める要望書を提出していた。

残存機体保存「考えたい」 慰霊登山の日航社長 (8/12)




 2005-12-03  123便残存機体の保存 /TVドラマ

 日航は123便の残存機体を廃棄するのか保存するのか。今年8月の時点で社長が「(破棄するという)会社の方針に変更はないが、わたし自身としてはもう一度、総合して考え、整理してみたい」共同)と含みのある発言をしていたが、その後方針変更し、保存方法が具体的に示された。記事をメモしておく。

 日本航空の新町敏行社長は1日までに昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故で回収された123便の主翼や尾翼の一部、座席など30数点の残存機体を、社内教育用として展示する考えを明らかにした。当初は廃棄する予定だったが、今年9月に「事故を風化させない」として保存方針に転換していた。

 既に展示している圧力隔壁やフライトレコーダー(飛行記録装置)などとともに、同社の安全運航に対する教育用として役立てる。

日航123便残存機体展示へ…主翼や座席約30点 (12/01、zakzak)

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 123便関連のTVドラマが今月10・17日にNHKで放送される。




2006年


 2006-02-02  123便残存機体の保存−閲覧は関係者限定?

 日航は123便の残存機体を廃棄から(紆余曲折を経て)保存に方針転換したが、今度は関係者限定の施設に囲い込もうと画策していたのか。呆れた。何か、よくよく隠したいものがあるらしい。

 日本航空が東京・羽田に今年4月に新設する、ジャンボ機墜落事故の残存部品の展示施設について、公開方法をどうするかを巡って揺れている。

 あくまで見学者を社員や企業関係者の安全学習目的に限定したい日航に対し、同社外部諮問グループは施設の一般公開を提言する。日航は施設が完成するまでに公開方法を決めるが、遺族らは「事故を忘れたいという気持ちが強いのでは」と、外部への公開に二の足を踏む同社の姿勢に苦言を呈している。

(中略)

 新町社長は会見で、センターについて、「外部にも公開して、航空業界全体の『安全風土』の形成に寄与したい」と意気込みを語ったが、公開方法については「(一般の人に)ぷらっと来てもらう場所ではない」「安全研究に寄与する方を対象にしたい」と発言。一般公開については最後まで明言せず、今後、遺族側からも意見を求め、施設オープンまでに公開方法を決めるとするにとどまった。

 これに対し、ジャンボ機墜落事故遺族でつくる「8・12連絡会」で残存部品保存を求めてきた武田屶(たかし)さん(71)は、「会社のマイナス面は外に出さないのは、隠ぺい体質と言われても仕方がない」と苦言。「有料でもいいから、申し込めばだれでも見学ができる施設にして欲しい」として、日航には一般公開に踏み切るよう求めるとしている。

一般公開?関係者だけ?…御巣鷹のジャンボ機大揺れ(2/2、読売)



 2006-04-20  123便残存機体を公開

 日航123便の残存部品などを展示する日航の「安全啓発センター」が完成し、19日に報道陣に公開された。

 4紙の中では読売の記事が群を抜いて詳しい。

 日航は当初、墜落したジャンボ機の残存部品について、後部圧力隔壁などの主要部品を除いて廃棄する方針を掲げていた。だが、墜落事故から20年を経た昨年、一連の運航トラブルや整備ミスが相次いだ反省から方針を転換し、保存・展示することにした。

 昨年12月には、安全アドバイザリーグループが、「犠牲者と遺族の痛恨の思いと、安全への切なる願いを象徴するものが必要」として施設の新設を提言。〈1〉安全学習などを目的とする外部の人への公開〈2〉遺族が収集した残骸(ざんがい)破片コーナーの設置――などの提言内容を日航側も全面的に受け入れ、今年1月、センター設立を正式発表した

(中略)

 19日に会見した日航の新町敏行社長は、「遺族と意見交換し、公開した方がよいという結論に達した。事故の教訓を風化させず、安全への意識の徹底をはかっていきたい」と話した。

 と、日航が当初残存機体を廃棄する方針だったこと、機体の保存・公開は遺族の意向に沿うものだということにも言及している。「一連の運航トラブルや整備ミス」以前にも紆余曲折があったのだが、それは今回の記事でふれる必要はないか。

 毎日は「これまで遺族感情に配慮し社内研修に一部を活用していたが、事故をめぐる記憶の風化を防ぐとともに、昨年来のトラブル続発を受けて安全の誓いを新たにしようと一般公開に踏み切った」としており、日航が廃棄する方針だったことにはふれていない。産経と朝日は公開に至る経緯について一切ふれていない。

 記事は1週間程度でサーバーから削除されてしまうので、読売の記事をウェブ魚拓で保存しておく。



 2006-07-10  123便:遺書を展示 深夜追記

 日航の「安全啓発センター」に日航123便事故被害者の遺書が展示されることになった。記事を引用しておく。産経と共同、どちらの記事も過去の“日航と遺族の対立”に言及している(朝日・読売・毎日の記事は見つからなかった)。

≪「恐い、助けて」「子供よろしく」…≫

 昭和60年8月、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落したジャンボ機の残骸(ざんがい)を保存・展示している日航の「安全啓発センター」(羽田空港)に、事故で犠牲になった被害者が機内で書いた遺書やメモが10日から展示される。

 乗客が書き残した遺書や、客室乗務員が書いたメモなど6通。うち2通は遺族から提供を受けた実物、4通は写真。事故の教訓を次世代に伝えようという日航の新たな取り組みで、これまで日航と対立することの多かった遺族が協力した。

(以下略)

御巣鷹・日航機墜落“最後の言葉”展示 事故の教訓伝える (7/9、産経)(魚拓

 1985年8月、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落したジャンボ機の残骸(ざんがい)を保存・展示している日航の「安全啓発センター」に、事故で犠牲になった被害者が機内で書いた遺書やメモが10日から展示される。
 乗客が書き残した遺書や、客室乗務員が書いたメモなど6通。うち2通は遺族から提供を受けた実物、4通は写真。
 事故の教訓を次世代に伝えようという日航の新たな取り組みで、これまで日航と対立することの多かった遺族が協力したことでも注目される。
 実物が展示されるのは、客室乗務員の対馬優美子さん=当時(29)=がノートに書いたメモと、元日航社員の白井まり子さん=当時(26)=が時刻表の余白に残した走り書き。

犠牲者の遺書を展示へ 御巣鷹事故の教訓伝える (7/9、共同)



午後追記

 公開当日ということで時事と共同が記事にしている。時事の記事は簡略で、「遺族の協力を得て実現」という記述はあるが遺族と日航の過去の対立にはふれていない。

 朝日・読売・毎日の記事は見当たらない(正午過ぎ現在)。

 日航は10日、1985年8月に群馬県の御巣鷹の尾根に墜落したジャンボ機の残骸(ざんがい)を展示している「安全啓発センター」で、事故で犠牲となった乗客や乗員が残した遺書やメモの展示を始めた。
 客室乗務員の対馬優美子さん=当時(29)=が不時着した際のアナウンスを書き出したノートと、元日航社員の白井まり子さん=同(26)=が「恐い 恐い 恐い」などと走り書きをした時刻表は、遺族が実物を提供。
 乗客の河口博次さん=同(52)=が7ページにわたって手帳に残した家族へのメッセージなど、乗客4人の遺書は写真を展示。撮影には遺族が協力した。
 安全啓発センターは社員教育が目的の施設だが、予約すればだれでも見学できる。連絡先は電話03(3747)4491。

御巣鷹犠牲者の遺書を展示 日航の安全啓発センター (7/10、共同)



深夜追記

 夜になって毎日と読売が記事を配信。ともに日航と遺族の過去の対立には一切言及せず。

 毎日の記事冒頭の、

 日本航空は、85年のジャンボ機墜落事故の残存機体を一般公開している「安全啓発センター」(東京・羽田空港内)で10日、新たに犠牲者の遺書の実物と写真の展示を始めた。「恐(こわ)い 助けて 死にたくない」。焼け焦げた紙片、乱れた字体−−。同社は「無機質な機体だけではなく、人間の恐怖が直接感じられるもので事故の悲惨さを伝えたかった」と話している。

 という記述には釈然としないものがある。

 日航は当初残存機体の大半を廃棄処分しようとしていたが遺族らの猛反発を受けて方針を変更、保存することに決まってからも「安全啓発センター」は社員教育のための施設だとして一般公開を避けようとしていたが外部諮問グループの提言を受けるなどして一般公開に踏み切ったという経緯がある。

 日航は、捨てよう隠そうとみっともない迷走をしていたということだ。それをいまさら「事故の悲惨さを伝えたかった」なんて言われても。新聞社は日航の広報係じゃないんだから、こういう白々しい奇麗事にはピシッと突っ込みを入れてほしいものだ。



 2006-08-12  123便:21年目の夏。記事備忘

 日航123便事故から20年という節目だった去年に比べると関連ニュースは少なく、慰霊の灯篭流しなど“年中行事の報道”的な記事が大半だが、それでも2001年〜2004年の夏よりも記事の数は多いような。あくまで印象だが。

 今月初めからの目についた記事をメモしておく。

 乗員乗客520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故から12日で21年。これに合わせて、遺族たちでつくる「8・12連絡会」が、これまでの活動をまとめた「旅路−真実を求めて」を自費出版した。最愛の家族を一瞬にして奪われた遺族らの願いが伝わってくる。

(中略)

 連絡会は翌年、日航や事故機を製造・修理した米ボーイング社、運輸省(当時)の関係者を業務上過失致死傷罪などで告訴。前橋地検は関係者全員を不起訴処分としたが、真相を明らかにするための連絡会の取り組みは、その後も絶えることはなかった。
 連絡会は、事故を風化させないよう現場に残された機体を保存、公開することを一貫して求めてきたが、ついに日航は今年1月、残存機体や関係資料を公開する「安全啓発センター」を設置することを発表。粘り強い活動が実を結んだ。
 こうした活動の原動力となったのは「なぜ事故は起きたのか。何が愛する人の命を奪ったのか」(同書から)という、遺族の心からわき上がる感情だった。

日航ジャンボ機墜落事故21年目の夏 “真実求めた活動”出版 (8/1、産経)【魚拓】

(アンダーラインは引用者による)
 「旅路」では、不起訴理由の説明会で交わされた前橋地検(群馬県)の検事と遺族の詳細なやり取りも掲載。遺族が日航に求め続けていた残存機体の保存・公開施設が今年四月、「安全啓発センター」としてようやく実現した経緯なども紹介している。

日航機事故の遺族ら 活動の軌跡を出版 (8/2、神戸新聞)



 2006-11-09  123便:記事備忘

事故調関連記事。備忘用にメモ。

 航空・鉄道事故調査委員会の報告書を捜査や公判に利用することは国際民間航空条約に反するとして、各国のパイロットでつくる国際定期航空操縦士協会連合会(IFALPA)などは9日、報告書を刑事裁判の証拠に使うことを禁じる法整備を長勢甚遠法相に要請した。 (毎日新聞) - 11月9日22時30分更新

<事故調報告書>捜査・公判への利用禁止を要請 (11/09、毎日)




2007年

2007年8月の記事備忘は退避日誌@はてなに置いておく。

(2008-01-11)

関連リンク、更新履歴


 関連リンク


 更新履歴
2000-08-18

近況雑談からボイスレコーダー報道関連のものを抜粋して独立ページ化。

2001-01-12

1月5日のNステで遺族の現在を伝える特集があった。感想 →1月12日の雑談

2001-06-19

日航機墜落事故 新聞見出しに見る15年間の記録 へのリンクを更新(サイト移転)。

2001-11-04

「123便(JA8119号機)事故から17年目を迎えての5労組声明」を関連リンクに追加。

2002-02-02

8月14、15日の項の「News23 STAFF's NOTE」へのリンクに当該バックナンバーへのリンクを追加。バックナンバーの目次ページにリンクしたほうがお行儀良いのだが。
新聞記事へのリンクは現在デッドリンクとなっているがURLの記録としてそのまま残しておく。

2002-03-09

更新メモ(この欄)の体裁を変更。

2002-08-12

ページ全体を時系列順(新しいものほど下)に並べ直した。
2000-08-15の項のリンクを修正し、ちょっとリライト。

2002-08-13

日航123便(JA8119)御巣鷹山墜落事故の真実 へのリンクを更新(サイト移転)。
123便事故特集日本航空 機長組合)を関連リンクに追加。
123便(JA8119号機)事故から18年目を迎えての5労組声明を関連リンクに追加。
(昨年の「17年目を迎えて」にかわり「18年目を迎えて」が8月12日付で発表された。)

1項目追加(日航機長組合の「事故特集」について私見をメモ)。

2002-08-14

2000-08-14の項に毎日新聞の「運輸省が資料を廃棄処分」というスクープ記事へのリンクを追記挿入。

2002-08-15

8月12〜14日、CX「ニュースJAPAN」が3夜連続で123便事故の特集を放送。第3回のみ見た。感想→ 8月15日の雑談

2002-08-31

2000-08-14の項に追記挿入した毎日の記事のURLを修正。

2003-08-12

事故から18年。報道&記事備忘追加。

日航の「5労組声明」へのリンクを「19年目を迎えて」に差し換え(関連リンク)。

2004-08-10

事故から19年。記事備忘追加。

2005-05-05御巣鷹で追悼ミサ 記事備忘追加。
2005-08-07CXもTVドラマ化、番組ページにリンク。
2005-08-12TBSとCXのTVドラマの感想追加。/リンク追加。
2005-08-13“流出”したボイスレコーダーに関する赤旗の記事(2000年8月5日、第一報?)は阿修羅掲示板に転載されている。またInternet Archive Wayback Machineにも保存されている。2000年8月14日の項に追記。/リンク追加。
2005-08-16「急減圧なかった」生存者証言(8/12 朝日新聞)。/リンク追加。
2005-12-03残存機体の保存に関する記事、NHKのTVドラマのメモ、追加。
2006-04-20日航が残存機体を公開、追加。


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