臨界事故から1年報道@Nステ (2000年9月下旬放送)



2005-06-06 JCOが臨界事故現場(転換試験棟)の設備撤去を開始。記事をメモ
2004-12-11 JCOが臨界事故現場(転換試験棟)を住民に公開した。記事をメモ
2004-08-10 9日、関西電力美浜原発3号機で蒸気漏れ事故、作業員4名が死亡。(→ 朝日特集
原子力資料情報室(CNIC)へのリンクを張り直した(サイト移転)。東海臨界事故に関する記事の行き先は不明。参照リンクには移転前のアドレスを残しておく。
2003-05-21グリーンピース・ジャパンへのリンクを張り直した(サイト移転)。
2000-10-29註(出典記事や参照サイト)を追加。
2000-10-23作成。


 2000-10-23  臨界事故から1年報道(ニュースステーション)

 昨年9月に起こったJCOの臨界事故では約18時間臨界(中性子線の放出)が続き、臨界終息後も10日以上排気筒から放射性物質が噴き出し続けていた。将来にわたって周辺住民に健康被害は無いのだろうか。

 臨界を止めたのはJCO社員の“決死隊”である。放射性物質のジャジャ漏れ状態を発見したのは大学や民間団体の調査チームである(JCOはそれらの発表・告発の数日後に計測を開始(*1))。監督官庁である科技庁は何をしたか(しているか)。事故以前はJCOの不正規な作業実態を長年にわたり見逃し(*2)、現在は放射線測定データを隠蔽(*3) している疑いがもたれている。この有能でご立派なお役所は「健康被害は無い」と断言している。


 ニュースステーションが先月14日に放送したタイの被曝事故レポートは、衝撃的な映像で被曝の実態を伝える意欲的なものだった。それに比べると27日と29日に放送した東海村レポート「臨界事故の呪縛」は踏み込みが足りないように感じた。いや、意欲や姿勢の問題ではなく、報道の焦点に疑問がある。

 不安を訴えケアを求める住民に対し、被曝量は50mSv以下なので健康被害は無いと断言する科学技術庁、所管が違うので答えられないと逃げる厚生省、健康被害への補償を求めるなら住民側に因果関係の証明責任があると突っぱねるJCO等々、役所やJCOの不誠実な対応を報道する必要はあろうし、東海村の行政・住民と原子力事業の今後の関わり方を占うレポート(29日)にも意義はあると思う。が、まずは1年前のあの事故で何が起こったのか、被曝実態を明らかにする検証報道が優先課題ではないのか。

 それは例えば、「被曝量は50mSv以下」という科技庁の主張の検証である。情報源はある。複数の機関・団体が調査を行ない、国(科技庁)の発表に異を唱えるデータや見解を公表している(原子力資料情報室美浜の会グリーンピース・ジャパン、など)。

 番組では青木医師(臨界事故調査委員会代表・阪南中央病院)の「(科技庁は数値が)50mSvを超えないような操作をしている疑いがある」という言葉を紹介するのみ。データの提示は無し。清水コメンテーターは「専門医は長期的に調べないとわからないと言っている。(原爆症のように被曝から)50年経って初めてわかることもある」と科技庁の早過ぎる結論を批判し、久米宏は(被曝住民に健康手帳を発行しようとしないことなどに対して)「JCOの事故が原子力推進にとって致命的事故だったことを国は認めたくないんですね」と皮肉って27日のレポートを締め括ったが、これでは甘い。大本営発表の欺瞞を追及するには疑念や批判、皮肉コメントを発するだけでは足りない。具体的数値を挙げて迫らないと。

 先月23日のサイエンスアイは数値を挙げて科技庁発表に疑問を投げかけた(京大工学研究科技官河野氏の5円玉収集による被曝量推定データ(*4))。NHKの科学啓蒙番組でさえやれるならNステがやれないはずはない。Nステは、ダイオキシン報道で叩かれた後遺症で、数値を挙げるのが怖いんだろうか。

 事実関係の検証に的を絞った東海村レポート第3弾を強く希望する。



事故現場から100m地点 (出典:NHKサイエンスアイ、9/23放送)
科技庁推定:53mSv
河野氏試算:220mSv



(*1) 転換試験棟からヨウ素が漏出(毎日、99年10月12日)
(*2) 巡視で違法に気づかず (毎日、99年10月9日)

(*3) 美浜の会隠されていた第3のピーク(2000年10月15日付)参照。
(新聞記事:科技庁がデータ隠しの疑い 毎日、2000年10月16日)

(*4) ほうどり氏のJCO臨界事故に思う99年11月9日の日記(「5円玉の話」)によると、5円玉収集による中性子線量推定は東大の小泉氏も実施しているらしい。







 2004-12-11  臨界事故現場を住民に公開

 JCOは試験棟内の主要機器類を撤去する予定とのこと。これに先立って住民に事故現場を公開した。備忘用に記事を引用しておく。

 99年9月に臨界事故が起きた茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」(JCO)転換試験棟内部の住民見学会が11日始まった。一般住民が事故現場を見学するのは初めて。東海村が主催し、事前に申し込んだ21〜78歳の村内在住者162人が、16日までに順次内部へ立ち入る。

(中略)

 JCOは試験棟内の主要機器類を撤去する予定で、東海村側も容認する方針。このため、国内で史上最悪の原子力事故現場を「撤去前に見ておきたい」という要望が村民から出た。

出典:<JCO>臨界事故現場を住民に初公開 茨城・東海村 (12/11、毎日)





 2005-06-06  臨界事故現場の撤去工事開始

 JCOは6日、試験棟内設備の撤去工事を開始した。備忘用に記事を引用しておく。

 茨城県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で99年9月に起きた臨界事故で、事故現場の旧転換試験棟内の設備を撤去する作業が6日、始まった。臨界が起きた沈殿槽(高さ約80センチ)などを解体してドラム缶に入れ、事業所内で低レベルの放射性廃棄物として保管する。作業は来年3月に終了する予定。

 東海村は「事故を風化させてはいけない」と今年度中にも沈殿槽などの模型を作り、村内の原子力科学館に展示する。

(中略)

 試験棟は当時の事業所長ら元同社幹部が業務上過失致死罪などに問われた刑事裁判の証拠として保全されていた。JCOは裁判終了後の03年8月、国に設備撤去を申請。村は昨年9月、「将来、歴史的遺産として公開する」ために復元可能な状態での保存を条件に解体に同意し、今年5月に国の撤去許可が下りた。

(後略)

出典:JCO、臨界事故の設備撤去工事始まる 茨城・東海村 (06/06、朝日)

 事故現場を巡っては、JCOが2003年8月、設備の撤去を文部科学省に申請したが、東海村の村上達也村長が「後世への教訓として残すべきだ」と保存を訴えた。ただ住民の間には撤去を求める声も多く、同村は条件付きでJCOが求めていた設備撤去に同意する一方、村内にある原子力科学館に国の補助で模型を設置するなどの方針を打ち出していた。

出典:臨界事故のJCO、現場の設備撤去を開始 (06/06、日経)



参照リンク

  消滅したページへのリンクも記録として残しておく。(2004-12-11 改定)