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2001-09-28 本の再読(『イワンのばか』他) |
友人と電話で雑談。子供の頃に読んだ物語や耳に馴染んだ音楽が、年月を経ると違った相貌を見せることについて。 『幸福の王子』はWEBで読める。 → オスカー・ワイルド『幸福の王子』 (結城浩氏訳) *
数年前、『星の王子さま』(サン=テグジュペリ)を再読した。小5の頃読んで特に感銘を受けるということもなかったのだが、大人になってから読むと味わい深い。というか、小学校高学年程度の学童ではこの物語の寓意を掴みきれないように思える。例えば、王子さまの星に一本だけ咲いているバラの花のことを、小5の私はわがままで嫌な奴だとしか思わなかった。これは私の精神の成長が人より遅かったからだろうか。 『イワンのばか』(トルストイ)を8年ほど前に岩波少年文庫版で再読した。この本には「カフカースのとりこ」という短編がおさめられている。タタール人に捕らえられたロシア軍士官が異民族の山村で虜囚として暮らしやがて生還するという実話ドキュメントのような話。子供の頃読んだ記憶はない。この短編集は「人の幸せとはなにか、信仰とはなにか」を寓話に託して語る、全体に宗教色が強い本なのだが、その中でこの一編は異彩を放っている。
「カフカースのとりこ」を翻案し物語の舞台を現代のチェチェン紛争におきかえた「コーカサスの虜」という映画を98年2月にNHK教育TVで観た。 映画を観た後で「カフカースのとりこ」を読み直してみた。捕らわれた主人公の恐怖やタタール人の敵意と憎悪が、命をもった人間の生々しい感情として感じられる。以前読んだ時は、例えば、 (山のふもとの老人には)「むすこが八人いたが、(略)ロシア人がやってきて、村をぶちこわした上、むすこを七人まで殺してしまった」(p.288) という記述も、その出来事を惨劇として頭に思い浮かべることはなかった。
子供向けの平易な文体と淡々とした記述で和らげられてはいても描かれているのは人間の営みであり、恐怖や憎悪、欲望は現実を映したものだ。話のあらすじを追うだけの浅い読み方をしていてはいかんなあと反省。勢いで「イワンのばか」もあらためて再読してみた。手にまめを作り額に汗して働く者を礼賛するこの滑稽な寓話は、冷酷な現実に懸命に抗い、人々がよりよく生きられる世界を願って書かれたものだろう。 私の前には別の、しかしたぶん似通った現実がある。その現実の大半がTVという小箱を通したものだから私はこんなに平静でいられるのだろうか、と思う。
訂正
映画「コーカサスの虜」の舞台はアフガン戦争ではなくチェチェン紛争。記述を訂正した。他にも若干リライト。(10-01)
追記 文章若干リライトした。(10-10) |